こんにちは。ぽんです。
2019年6月28日、ひとつのニュースが浦和を駆け巡りました。
前日からネットやニュースで騒がれていたとは言え、ACLへ完全に意識がいっていた浦和サポーターにとっては寝耳に水の出来事だったに違いありません。
僕もその一人です。
関根が2年前の移籍を決めた時、僕はこんな記事を書いています。
当時の駄文ですが…素直に海外への挑戦を応援したいそんな気持ちでした。そして「いつかまた浦和の右サイドを疾走する姿を夢見てます!」とも書いています。ただ、そこからわずか2年で現実になるとは思いもよりませんでした。
現在の心境は応援したい気持ちと複雑な気持ちが半々というのが正直なところです。
「なぜなのか?」
それはやはり自分の中で”関根貴大”という選手が特別だからだと思います。
前置きが長くなりましたが、なぜそこまで”関根貴大”に惹かれるのか?を書いていきたいと思います。
思いの丈をそのまま書いていくので駄文、乱文になるかと思いますがよろしくお願いいたします。
田中達也という存在を抜きにして語れない

関根という選手を語る前に自分の中で、切っても切り離せないのが現アルビレックス新潟でプレーする田中達也という存在です。
2000年代、浦和黄金時代を代表するプレイヤーであることは間違いありません。
小柄な体型からは想像できないような力強いドリブル、シュート。
前線から何度も相手DFにプレッシングをかけ続ける献身性。
試合に出れば誰よりも走り、100%の力をチームの為に注ぎ続けるその姿に僕は心を掴まれていました。
これまで浦和にはたくさんの素晴らしい選手がいました。
ミスターレッズ福田正博、野人岡野雅行、天才小野伸二、永井雄一郎、長谷部誠、闘莉王、都築龍太、ギド、バイン、チキ、エメ、ロビー、ワシントン…
みんな好きな選手です。何度も心を熱く揺らされてきた選手たちです。ただ、心を掴まれたのは田中達也“だけ”でした。
それは恐らく、自分とあまり背丈が変わらない小さな身体でプロというピッチで激しく闘い、最後まで決して諦めず走りを止めない姿勢が誰よりも伝わってきたからだと個人的には思っています。
達也がケガに泣かされながらも、何度も復活しピッチに立って躍動する姿に勇気をもらったことは1度や2度では収まりません。
「達也はずっと浦和に居続けるんだろうな…」
間違いなく自分の中で特別な存在のサッカー選手でした。達也が入団する前からスタジアムに通い浦和を応援していましたが、達也によってより浦和を好きになったと言っても過言ではありません。
時系列は違いますが引退した山田暢久、鈴木啓太、平川忠亮のように引退するまで浦和だと勝手に思っていたのを覚えています。
そんな達也との別れは2012年、突然やってきます。
「浦和 田中達也との契約満了」
その時点で達也はまだ29歳。2019年活躍しているレギュラー組、周作や陽介、興梠の現在の年齢よりも若い時点での出来事でした。
自分の中で整理ができずに何度も何度もニュースを読み返しました。「来年から達也がいない…?ウソだろ…???」
現実離れしすぎてフェイクニュースなのではないかと疑いましたが紛れもない事実でした…
その年のホーム最終戦。2013年のACL出場を決めた試合の後に行われたセレモニー…
ゴール裏の前に達也がやってきて最後の言葉を喋ります。
「達也が浦和のユニフォームを着ることは二度とないんだ…」
達也が言葉を紡ぐたび、その現実が実感として襲ってきました。思えば、僕がスタジアムで涙を流したのはその時が初めてでした。
数々の歓喜を浦和にもたらしてくれた男との別れ…大げさでなく心に穴がポッカリ空いたような感じでした。
彗星の如く現れた関根貴大

達也がいなくなった翌年の天皇杯で一人のユース選手がトップデビューします。
それが関根貴大でした。
正直、その試合での関根の印象はほとんど残っていません…※理由は浦和が伝統芸能を発揮して負けたこと。もう一人デビューした某選手のインパクトが大きかったことです(笑)
ただ、「達也と背丈が変わらない小さい選手だな…」という印象だけは残っていました。
そして翌年、関根はユースからトップに昇格してきました。
リーグのデビュー戦はルーキーの年、2014年に埼スタで行われた清水エスパルス戦。そうあの「無観客試合」でした。
当時、シーズンチケットを買い、埼スタで試合を見ることが当たり前だった自分にとっては”やるせない気持ち”でこの無観客の浦和の試合をTVで見ていました…
そんな試合で後半開始から投入されたのが関根貴大でした。
右サイドに配置された関根はルーキーらしく積極果敢に仕掛け続けます。その姿勢、怖いもの知らずのガムシャラな姿にどこか”田中達也”と被った気がしたのを覚えています。
試合はドローで終わりましたが、僕の中では関根というひとりのルーキー選手のプレーが頭に残り続けていました。
そしてそこからすぐに関根に心を掴まれる瞬間が訪れます。
時は2014年5月17日。54,000人を超えた観衆を集めたホーム埼スタでの「セレッソ戦」この試合に勝って首位浮上を狙っていた浦和はセレッソの守備網を崩せない重苦しい展開が続きます。
そんな展開の中、70分に切り札として投入されたのが関根。
デビュー戦から約2ヶ月しかたっていませんでしたが、“関根が入れば雰囲気が変わる”そう思われるぐらいポジションにすでにいました。
この時のスタジアムの雰囲気も「彼なら何かやってくれる」という雰囲気で満ち溢れていました。
そしてその期待に関根が見事に応えます。右サイドの入った関根が陽介とのワンツーからエリア内に侵入すると右足でワントラップから左足でシュート!
ボールは見事にネットに突き刺さり、埼スタが歓喜に揺れます!
その時、北ゴール裏のバックスタンド側で見ていた自分にとっては、関根のプレーのインパクトがハンパなく伝わりました…
「あ…この選手ヤバい。」
特別な理由がなにかあるわけではありません。ビビッと何かを感じたという言葉が正しいと思います。
そしてこの時から背番号26を背負ったルーキーの一挙手一投足を追うようになっていきました。
達也が浦和が退団してからわずか1年半後。彗星のように心を掴まれる選手が目の前に現れました。
数々の印象的なゴールを残し、海外へ!

ルーキーにしてスーパーサブとして重宝された関根はその年の日産スタジアムでも印象的なゴールを残します。
8年ぶりのリーグ優勝に王手をかけたゴール。(残念ながら最終的な結果には繋がりませんでしたが…)
関根の1年目は誰もが認める結果を残し続けたと思っています。
年が明けて2年目。浦和の右ワイドには関根貴大の名が連なるのが当たり前になりました。
90分間衰えぬ運動量で上下動を繰り返し、印象的なゴールまで決めてしまう…そして何より闘っている姿勢が見え続けていたのが嬉しかったのだと思います。
関根貴大という選手は見れば見るほど好きになっていく選手でした。
2015年で印象に残っているのは間違いなくこのゴールですね。
そして2017年。
関根はJリーグ年間最優秀ゴールを置き土産にするかのように”海外挑戦”への扉を叩きました。(何度見てもとんでもないゴールです…)
発表された時は「ついに来たか…」という気持ちが強かったです。
ずっと浦和で関根のプレーを観ていたいという気持ちもありましたが、海外で活躍する関根の姿を観てみたいという気持ちがどちらかというと強かったです。
「頑張れ!行ってこい!そして簡単に帰ってくるなよ!」
偽らざるイチサポーターの想いでした。
なぜ関根の復帰に複雑な気持ちなのか?

話を戻し、2019年6月28日。浦和が関根貴大復帰を発表しました。
好きな選手が戻ってくる…恐らくこんなに嬉しいことはないでしょう。ただ、最初に書いたように複雑な気持ちがあったのも事実です。
その理由はやはり「もう少し海外で暴れてほしかった…」という乱暴な気持ちがあるからだと思います。
「関根はこんなものではないだろう…」「環境を変えればもっとできるはずだ…」
そんな思いが引っかかっているのです。
もちろん、関根自身に取り巻く厳しい環境があったのだと思います。
「思ったように行かない…」の連続だったのだと思います。
昨シーズンの終盤に決めたこのゴールは、来シーズンも関根は海外でできると確信をしていただけに余計に復帰は驚きました。
復帰が嬉しいか?と聞かれれば、間違いなく「嬉しい!」です。
しかし、関根はもっと海外で輝けるという気持ちがどうしてもあります。
また浦和を熱くさせてくれることを願っている

それでもピッチに出れば、関根貴大という選手は“浦和の為に最後まで走り、闘える”選手です。
また、ガムシャラな姿勢に心を掴まれる日が来ると思っています。
今度は関根貴大と一緒に数々のタイトルを取れることを楽しみに浦和の試合を見たいと思います。
「なぜ、これだけの選手が海外から戻ってきたんだ…?」
そんな声が聞こえるくらいの活躍をしてほしいですし、できると思っています。
関根が何度も浦和を熱くさせてくれる瞬間を逃さないようにこれからもイチサポーターとして応援を続けたいと思います!
最後に…「お帰りなさい!また一緒に闘おう!」